「利益は出せば出すほど良いはずでは?」
「なぜ、あえて利益を800万円に抑える必要があるのだろう?」
多くの経営者が、利益の最大化を目指して日々奮闘されています。しかし、専門家の間では、特に中小企業において、年間の課税所得(利益)を「800万円」という一つのラインに抑えることが、税務上非常に有利であるとしばしば語られます。
これは、単に目先の税金を安くするという短期的な視点だけでなく、将来の事業承継や相続といった、会社の未来を左右する長期的な視点においても、極めて重要な意味を持つ戦略です。
この記事では、なぜ「利益800万円」が一つの重要な基準となるのか、その背景にある法人税の仕組みと、将来の事業承継時に待ち受ける大きな税負担リスクを回避するための、戦略的な利益コントロール術について、分かりやすく徹底的に解説していきます。
法人税の仕組み:利益「800万円」を境に税率が変わる!
まず、なぜ800万円という数字が重要視されるのか、その最も直接的な理由である法人税の税率構造について理解しておきましょう。
中小企業(資本金1億円以下の法人など)の場合、法人税率は、課税所得(利益)の金額に応じて、主に以下の2段階の税率が適用されます(法人税のみ、他の地方税などは除く)。
- 課税所得800万円以下の部分: 15%(軽減税率)
- 課税所得800万円超の部分: 23.2%(標準税率)
これに、法人住民税や法人事業税が加わるため、実際にはもう少し税率は高くなりますが、重要なのは、課税所得が800万円を超えると、その超過部分に対して適用される税率が大幅に(約8~10%)アップするという点です。
【税率の全体像(実効税率の目安)】
課税所得の区分 | 法人税等の実効税率(概算) |
800万円以下の部分 | 約23% |
800万円超の部分 | 約33% |
(※実効税率は、法人の種類、所在地、事業内容などにより変動します。)
この税率の差は、経営判断に大きな影響を与えます。例えば、課税所得が800万円の場合と900万円の場合を比較すると、増えた利益100万円に対して、約33万円もの税金がかかる計算になります。しかし、もし利益を800万円に抑えることができれば、その100万円分の利益に対応する税金は発生しません。
この「税率の壁」を意識し、毎年の課税所得をできるだけ800万円以内にコントロールすることが、短期的な節税の基本戦略となるのです。
利益を800万円に抑える具体的な方法
- 役員報酬の調整: 利益が多く出そうな年度は、役員報酬を増額して利益を圧縮する。
- 節税対策の実施: 決算期末に、倒産防止共済への加入、決算賞与の支給、広告宣伝費への投資、不要な固定資産の処分など、様々な節税策を講じて利益をコントロールする。
「資産を持つ会社」が800万円以上の利益を目指さざるを得ない理由
では、全ての会社が利益を800万円に抑えるべきなのでしょうか?答えは「ノー」です。特に、多くの固定資産(土地、建物、機械設備など)を保有する会社は、800万円以上の利益を出さなければ、経営が立ち行かなくなる可能性があります。
なぜ資産を持つと、より多くの利益が必要になるのか?
- 借入金の元本返済は経費にならない:
- 工場や機械などの高額な資産は、多くの場合、金融機関からの借入によって取得します。
- この借入金の元本返済部分は、会計上・税務上、経費(損金)にはなりません。 しかし、会社からは確実に現金が流出していきます。
- この「経費にならない現金支出」である元本返済の原資は、税金を支払った後の利益(税引後利益)から賄うしかありません。
- 利益と返済原資のシミュレーション:
- ケースA(利益800万円の場合):
- 税引前利益:800万円
- 法人税等(約23%):約184万円
- 税引後利益(返済原資):約616万円
- ケースB(利益2,400万円の場合):
- 税引前利益:2,400万円
- 法人税等(約33%で計算):約792万円
- 税引後利益(返済原資):約1,608万円
- ケースA(利益800万円の場合):
- 資産の購入費用も経費にならない:
- 土地や建物などの資産を購入した支出そのものも、その年度の経費にはなりません(建物などは減価償却費として、将来にわたって少しずつ経費化されます)。しかし、現金は大きく減少します。
このように、多くの資産を保有し、それに伴う借入金の返済負担が大きい会社は、必然的に高い利益目標を掲げざるを得ないという構造的な問題を抱えています。そして、その結果として、高い法人税率の適用を受け、利益の割には手元にお金が残りにくいというジレンマに陥りがちです。
長期的な視点:なぜ利益を出しすぎると「将来の税金」で損をするのか?
短期的な法人税率の問題以上に、経営者が「利益800万円」という基準を意識すべき、より深刻で長期的な理由があります。それが、「事業承継時の相続税・贈与税」の問題です。
会社の利益は、株価となって経営者に蓄積される
会社が生み出した税引後利益は、貸借対照表(BS)の「純資産の部」にある「利益剰余金」として、毎年積み上がっていきます。そして、この純資産の増加は、そのまま自社株の評価額の上昇に直結します。
【シミュレーション:25年後の株価はどうなる?】
仮に、ある社長が25年間会社を経営し、後継者(例えば、社員や子供)に事業を承継するとします。
- ケースA(毎年、利益を800万円に抑え、税引後利益600万円を蓄積した場合):
- 25年後の純資産増加額:600万円 × 25年 = 1億5,000万円
- この会社の株価は、単純計算で1億5,000万円となります。
- ケースB(資産を多く持ち、毎年、税引後利益1,600万円を蓄積した場合):
- 25年後の純資産増加額:1,600万円 × 25年 = 4億円
- この会社の株価は、4億円にも達します。
事業承継時に待ち受ける、高額な相続税・贈与税
この高騰した株式を、後継者が引き継ぐ際には、贈与税または相続税が課税されます。これらの税金の最高税率は55%と非常に高率です。
- ケースAの場合(株価1.5億円):
後継者は、約5,000万円以上の贈与税・相続税を支払う必要が生じる可能性があります。 - ケースBの場合(株価4億円):
後継者の税負担は、実に2億円近くにもなる可能性があります。
後継者となる社員や子供が、このような多額の納税資金を個人で準備することは、極めて困難です。この税負担が原因で、事業承継が頓挫してしまうケースは後を絶ちません。
究極の事業承継対策:「役員退職金」による株価の圧縮
この問題を解決するための最も有効な手段の一つが、社長が退職する際に、会社から「役員退職金」を受け取ることです。
- 仕組み:
役員退職金は、会社の経費(損金)として認められるため、退職金を支払った年度の会社の利益を大幅に圧縮できます。その結果、会社の純資産が減少し、株価が下がります。 - ケースAの場合:
1億5,000万円の役員退職金を受け取れば、会社の純資産はゼロに近くなり、株価もほぼゼロになります。これにより、後継者はほとんど税金を負担することなく、会社の経営権(株式)を引き継ぐことができるのです。 - 役員退職金の適正額:
ただし、役員退職金も、不相当に高額であると税務上否認されるリスクがあります。一般的に、その適正額は「功績倍率法」という計算式で算定されます。
役員退職金 = 最終月額報酬 × 役員在任年数 × 功績倍率
(功績倍率は、社長の場合で2.0~3.0倍程度が目安)
ケースAで1.5億円の退職金を受け取るためには、逆算すると、退職時の最終月額報酬が200万円程度必要になります。これは、中小企業の経営者にとって、十分に現実的な水準です。
利益を出しすぎた会社の末路
一方、ケースBのように、純資産が4億円にまで膨れ上がってしまった会社はどうでしょうか。
4億円の役員退職金を受け取るためには、最終月額報酬が533万円以上必要になります。これは、多くの中小企業にとって、非常に高いハードルです。
もし、最終月額報酬が400万円だった場合、受け取れる退職金の適正額は約3億円となり、純資産を3億円圧縮できます。しかし、それでも1億円分の純資産(株価)が残ってしまい、後継者は約5,000万円もの税金を支払わなければならなくなるのです。
このように、毎年の利益を高く計上し続けることは、短期的には高い法人税を支払い、長期的には事業承継を困難にするという、二重の税負担リスクを抱え込むことになるのです。
ゴール設定によって戦略は変わる:事業承継か、M&Aか?
ただし、この「利益を800万円に抑える」という戦略は、後継者へのスムーズな事業承継をゴールとしている場合に、特に有効な考え方です。
もし、経営者のゴールが、事業承継ではなく「M&Aによる会社売却(バイアウト)」である場合は、戦略は全く逆になります。
- M&Aの場合: 会社の売却価格(企業価値)を最大化することが目的となります。企業価値は、主に会社の収益性(利益額)によって評価されるため、この場合は800万円というラインにこだわらず、できるだけ多くの利益を出し、会社の純資産と収益力を高めていく方が有利になります。
- 重要なのはタイミング: ただし、M&Aの際の企業価値評価では、直近3年程度の業績が特に重視されます。したがって、10年後に売却を考えているのに、今から利益を積み上げる必要はありません。売却の直前3年間で、集中的に利益を最大化するような経営戦略を立てることが有効です。
まとめ:「利益800万円」は、未来への布石。長期的な視点で会社をデザインしよう!
「利益は800万円までに抑えた方が良い」という言葉の裏には、短期的な節税効果だけでなく、将来の事業承継という、会社の存続に関わる極めて重要な戦略が隠されています。
利益800万円コントロール術のポイント
- 短期的なメリット:法人税の軽減税率の活用
- 課税所得が800万円を超えると税率が約10%アップするため、可能な範囲で利益を800万円以内に抑えることで、毎年の法人税負担を軽減できます。
- 長期的なメリット:事業承継・相続税対策
- 毎年の利益をコントロールし、会社の純資産(=株価)が過度に膨れ上がるのを防ぎます。
- これにより、将来、後継者が株式を承継する際の贈与税・相続税の負担を大幅に軽減できます。
- 社長自身の役員退職金を活用し、純資産を圧縮することで、最終的に「無税」での事業承継も視野に入れることが可能になります。
- 例外:資産保有型企業とM&A戦略
- 多くの資産や借入金を抱え、高い利益を出さなければ経営が成り立たない場合は、800万円を超える利益計上が必要となります。ただし、その場合は将来の事業承継対策を別途、周到に準備する必要があります。
- M&Aによる会社売却をゴールとする場合は、逆に利益を最大化し、企業価値を高める戦略が有効です。
会社の経営は、目先の利益を追い求める短距離走ではありません。10年後、20年後、そして自分が引退した後の会社の未来までを見据えた、長期的な視点での戦略設計が求められます。
「なぜ利益を出すのか?」「その利益をどう使うのか?」「会社の最終的なゴールは何か?」
これらの問いに対して、経営者自身が明確な答えを持ち、それに基づいて日々の利益をコントロールしていくこと。それこそが、会社を永続的に発展させ、円満な事業承継を実現するための、最も賢明な経営術と言えるでしょう。
この記事が、皆様の会社の長期的な財務戦略と、未来を見据えた経営判断の一助となれば幸いです。