「走れば走るほど、税金がかかる」
そんな未来が、すぐそこまで来ているのかもしれません。近年、政府の税制調査会などで議論が活発化している「走行距離課税」。これは、その名の通り、自動車の走行距離に応じて税金を課すという、全く新しい概念の税金です。
まだ正式に導入が決定したわけではありませんが、この議論の背景には、自動車業界の大きな変革と、それに伴う国の税収構造の変化という、避けては通れない課題が存在します。もしこの走行距離課税が導入されれば、私たちのカーライフはもちろん、物流業界、地方経済、さらには日本全体の産業構造にまで、計り知れない影響を及ぼす可能性があります。
この記事では、なぜ今、走行距離課税が議論されているのか、その背景と予測される仕組み、そして導入された場合に考えられる様々な問題点や社会への影響について、多角的な視点から分かりやすく、そして徹底的に解説していきます。
なぜ「走行距離課税」が議論されるのか?その背景にある2つの大きな変化
これまで、自動車に関連する税金は、主に自動車の取得時(自動車重量税、環境性能割)、保有時(自動車税・軽自動車税)、そして燃料使用時(揮発油税、地方揮発油税、軽油引取税など)に課されてきました。
では、なぜ今になって「走行距離」という新たな課税基準が浮上してきたのでしょうか。その背景には、大きく分けて2つの社会的な変化があります。
1. ガソリン車から電気自動車(EV)へのシフトと、それに伴う「ガソリン税収」の減少
- 脱炭素社会への流れ: 地球温暖化対策として、世界的に「脱炭素」の流れが加速しています。日本政府も、カーボンニュートラルの実現を掲げ、ガソリン車から電気自動車(EV)やハイブリッド車(HV)への移行を強力に推進しています。
- ガソリン税の重要性: これまで、ガソリンや軽油に課される税金(揮発油税など)は、国の道路特定財源として、道路の建設や維持管理を支える重要な財源となってきました。ガソリン価格の約4割を税金が占めているとも言われ、国にとって非常に大きな税収源です。
- 税収減少の危機: しかし、EVの普及が進めば、人々はガソリンを給油しなくなります。これは、ガソリン税収が将来的には大幅に減少し、いずれはゼロになることを意味します。
- 代替財源の模索: 国としては、この失われる税収を補うための新たな財源を確保する必要があります。そこで、ガソリンの使用量に代わる新たな課税基準として、自動車の「使用量」を直接測る指標である「走行距離」に白羽の矢が立ったのです。
つまり、走行距離課税は、EVシフトによって失われるガソリン税収を補填するための、代替税源確保という、国の財政的な事情が大きな動機となっています。
2. 「若者の車離れ」と、保有から利用への価値観の変化
- 現代の日本では、特に都市部を中心に「若者の車離れ」が指摘されています。公共交通機関の発達、維持費の高さ、価値観の多様化などを背景に、自動車を「保有」することへの関心が薄れています。
- これに対し、政府や自動車業界の一部には、「カーシェアリングの普及などで、車の『利用』そのものに対する需要が減っているわけではない。ならば、車の『保有』に対して課税する従来の自動車税だけでなく、車の『利用(走行)』に対して課税する方が、より公平で実態に即しているのではないか」という考え方が存在します。
これらの背景から、走行距離課税は、単なる税収確保策としてだけでなく、変化する社会構造に対応した新たな課税体系の模索という側面も持っているのです。
走行距離課税が導入されたら?予測される仕組みと課税方法の課題
まだ具体的な制度設計は決まっていませんが、もし走行距離課税が導入される場合、どのような仕組みになるのでしょうか。そして、そこにはどのような課題があるのでしょうか。
予測される課税の仕組み
- 課税基準: 「1kmあたり〇円」といった形で、年間の総走行距離に応じて税額が決定されると予測されます。
- 課税タイミング: 年に一度、自動車税と同じタイミング(例えば、毎年4月1日時点の所有者に対して、前年1年間の走行距離分を課税)で納税通知書が送られてくる形が考えられます。
しかし、この「走行距離をどうやって正確に把握し、公平に課税するか」という点に、非常に大きな技術的・制度的課題が存在します。
- 課題①:走行距離の把握方法
- 車検時のメーター確認?: 最も簡単な方法は、車検時に自動車のオドメーター(総走行距離計)の数値を記録し、前回の車検時からの差分で課税する方法です。しかし、これでは車検の間の2年間(または3年間)の走行距離しか把握できず、年に一度の正確な課税は困難です。
- GPS等の車載器の義務付け?: 全ての車にGPS機能付きの専用車載器を搭載し、走行距離データを国が一元管理するという方法も考えられます。しかし、これには莫大なシステム開発費用と、車載器の購入・設置コスト、そして何よりも「国民の移動を国が監視する」というプライバシー上の重大な問題が生じます。
- 自己申告?: 納税者が自己申告で走行距離を報告する方法も考えられますが、メーターの改ざんなど、不正の温床となる可能性が極めて高いでしょう。
- 課題②:中古車売買時の課税の公平性
- 年の途中で車を売買した場合、その年の走行距離に対する税金を、売主と買主の間でどのように按分するのか、という問題が生じます。
- 例えば、4月1日に課税されるルールの場合、3月31日に中古車を購入した買主が、前の所有者が1年間で走行した分の税金まで負担させられてしまう、といった不公平が生じる可能性があります。
- 課題③:電気自動車(EV)の電力消費量での課税?
- ガソリン税の代替という観点から、EVの充電時の電力消費量に課税するという案も考えられます。しかし、家庭での充電と、公共の充電ステーションでの充電をどのように区別し、正確に把握するのか、技術的なハードルは非常に高いです。また、家庭での電力使用量全体の中から、車の充電分だけを分離することも困難です。
このように、公平かつ正確に走行距離を把握し、課税するための実務的な仕組みを構築することは、極めて難しい課題であると言えます。
走行距離課税がもたらす深刻な影響と社会的な問題点
仮に、これらの技術的・制度的課題を乗り越えて走行距離課税が導入された場合、私たちの生活や社会、そして日本経済全体に、どのような影響が及ぶのでしょうか。
1. 地方在住者の負担増と地域格差の拡大
- 地方の「車社会」という現実: 公共交通機関が乏しい地方においては、自動車は単なる移動手段ではなく、通勤、通学、買い物、通院など、生活に不可欠なライフラインです。
- 走行距離の格差: 都市部の住民と比較して、地方の住民は日々の移動に自動車を頼らざるを得ず、必然的に走行距離は長くなります。
- 不公平な税負担: 走行距離に応じて課税されるとなると、生活のためにやむを得ず長距離を移動している地方在住者の税負担が、都市部在住者に比べて著しく重くなるという、極めて不公平な状況が生まれます。これは、地方の過疎化をさらに加速させ、地域経済に深刻なダメージを与える可能性があります。
2. 物流・運輸業界への壊滅的な打撃
- コストの直撃: トラック運送業やタクシー業、バス事業など、事業そのものが自動車の走行に依存している業界にとって、走行距離課税はコストの大幅な増加に直結します。
- 運賃・料金への転嫁: 増加したコストは、最終的に運賃や商品価格に転嫁され、国民全体の生活コストを押し上げる要因となります。
- 物流インフラの危機: 日本の経済活動を支える物流網が、コスト増によって機能不全に陥るリスクも懸念されます。
3. 日本の基幹産業である自動車産業への影響
- さらなる「車離れ」の加速: 新たな税負担は、消費者の自動車購入意欲をさらに減退させ、特に若者を中心とした「車離れ」を加速させる可能性があります。
- 国内市場の縮小: 自動車の販売台数が減少し、日本の基幹産業である自動車産業及び関連産業(部品メーカー、販売店、整備工場など)の業績が悪化し、雇用にも深刻な影響を及ぼす可能性があります。
4. 国民の心理的な抵抗感と行動の変化
- 「走ると損」という心理: ガソリン税は、給油時に価格に含まれているため、税金を支払っているという意識は比較的希薄です。しかし、走行距離課税として、走行距離が明確に税額に反映されるようになると、「走れば走るほど税金がかかる」という意識が強まり、運転そのものに対する心理的な抵抗感が生まれる可能性があります。
- 非合理的な行動の誘発: 例えば、「少し遠回りだが渋滞がなく早く着くルート」と「近道だが渋滞しているルート」があった場合、「税金を節約するために」渋滞の多い近道を選ぶといった、社会的にも非効率な行動が誘発されるかもしれません。
5. 環境政策との矛盾
- 政府は脱炭素を推進し、環境に優しいEVへの移行を推奨しています。しかし、そのEVに乗ること自体に新たな税金を課すというのは、政府の環境政策と矛盾するものであり、国民の理解を得るのは難しいでしょう。エコカーに乗ろうというインセンティブを削ぐ結果にもなりかねません。
このように、走行距離課税の導入は、単なる税収の問題に留まらず、地域格差、産業競争力、国民生活、環境政策といった、日本の社会・経済の根幹に関わる、極めて深刻な問題点を内包しているのです。
走行距離課税への代替案と、あるべき税制の議論
では、EVシフトによるガソリン税収の減少という課題に対し、走行距離課税以外にどのような解決策が考えられるのでしょうか。
- 既存税制の見直し:
自動車重量税や自動車税など、既存の自動車関連税制のあり方を見直し、そこで財源を確保するという考え方。 - 電力への課税強化:
EVの充電に使用される電気を含め、電力全体への課税を強化するという考え方。ただし、これは自動車を利用しない国民も含めた広範な負担増に繋がります。 - 一般財源化:
道路特定財源という考え方をやめ、道路の整備・維持費用も、他の公共サービスと同様に、所得税や法人税、消費税といった一般財源から賄うという考え方。
どの方法にも一長一短があり、国民的な議論が必要です。重要なのは、一部の国民や特定の産業に過度な負担を強いるような不公平な税制ではなく、社会全体で納得できる、公平で透明性の高い税体系を構築していくことではないでしょうか。
まとめ:走行距離課税は、日本の未来を左右する重大な選択
走行距離課税は、EVシフトという大きな社会変革の中で浮上してきた、国の財源確保のための選択肢の一つです。しかし、その導入には、
- 地方在住者や運輸業界への過大な負担と地域格差の拡大
- 日本の基幹産業である自動車産業の衰退リスク
- 国民の心理的抵抗と、社会的に非効率な行動の誘発
- 課税の公平性・実効性を担保するための技術的・制度的課題
- 環境政策との矛盾
といった、解決すべき極めて深刻な問題が山積しています。
安易な導入は、日本経済全体に深刻なダメージを与え、国民生活を疲弊させることになりかねません。これは、単なる税金の一つの問題ではなく、日本の未来のあり方を左右する重大な選択です。
私たち国民一人ひとりが、この問題に関心を持ち、そのメリット・デメリットを正しく理解し、様々なメディアや選挙などを通じて、自身の意見を表明していくことが、より良い未来を築くためには不可欠です。
今後の政府や税制調査会の議論の行方を、注意深く見守っていく必要があるでしょう。この記事が、走行距離課税という複雑な問題について、皆様の理解を深める一助となれば幸いです。