「事業が軌道に乗ってきたから、功績のある社員を役員に昇格させたい」
「外部から優秀な人材を役員として招き、経営を強化したい」
「友人と共同で起業するにあたり、お互いを役員とすべきだろうか?」
会社経営において、「役員」の選任は、事業の将来を左右する極めて重要な意思決定です。適切な人材を役員に登用できれば、経営体制が強化され、事業は大きく飛躍する可能性があります。しかし、その一方で、安易な役員選任は、経営の混乱、人間関係のトラブル、そして最悪の場合、会社に深刻な損害を与えるリスクも孕んでいます。
この記事では、経営者が役員を選任する際に知っておくべき、役員の法的な立場、役員を増やすことのメリットとデメリット、そして失敗しないための役員選びのポイントや注意点について、分かりやすく徹底的に解説していきます。
「役員」とは何か?社員との決定的な違いを理解する
まず、「役員」という言葉の意味と、その法的な立場を正確に理解しておくことが重要です。
役員(取締役)の定義と責任
- 一般的に、会社法上の「役員」とは、取締役、監査役、会計参与などを指します。この記事では、主に経営の中心を担う「取締役」について解説します。
- 取締役は、会社の経営方針を決定し、業務執行を監督する重要な役割を担います。
- 社長(代表取締役)は、取締役の中から選ばれた、会社を代表する権限を持つ取締役のことです。
- 取締役は、会社に対して「善管注意義務(善良な管理者としての注意義務)」と「忠実義務」を負っており、その任務を怠ったことで会社に損害を与えた場合、損害賠償責任を問われることがあります。
「執行役員」との違いに注意
- 名刺の肩書きなどで「執行役員」という役職を見かけることがありますが、これは会社法上の役員(取締役)ではなく、あくまで社内的な役職名です。
- 執行役員は、法律上は「従業員」であり、取締役会などで決定された事項を執行する責任者という位置づけです。登記簿にも名前は記載されません。
役員と社員の最大の違い:「契約形態」
役員と社員の最も大きな違いは、会社との契約形態にあります。
- 社員(従業員):雇用契約
- 会社と従業員は「雇用契約」で結ばれており、従業員は労働基準法などの労働法規によって手厚く保護されます。会社は、正当な理由なく従業員を解雇することはできません。
- 役員(取締役):委任契約
- 会社と取締役は「委任契約」で結ばれます。これは、株主から会社の経営を委任されているという関係です。
- 労働者ではないため、原則として労働基準法の保護対象外となります。
契約形態の違いがもたらす具体的な差異
項目 | 社員(従業員) | 役員(取締役) |
契約形態 | 雇用契約 | 委任契約 |
法的保護 | 労働基準法等により保護される | 原則として労働基準法等の保護対象外 |
解任・退任 | 解雇には厳格な要件が必要 | 株主総会の決議により解任可能。任期満了で退任。 |
雇用保険 | 加入義務あり(失業時に失業手当の受給対象) | 原則として加入不可(失業手当は受給できない) |
残業代 | 労働時間に応じて支給義務あり | 原則として支給対象外 |
賞与(ボーナス) | 会社の業績等に応じて支給。経費(損金)として認められる。 | 損金算入には厳格な要件あり(事前確定届出給与など)。 |
責任 | 業務上の指示に従う責任 | 会社全体に対する経営責任(善管注意義務、忠実義務) |
このように、役員と社員では、その立場も権利も責任も全く異なることを、まず大前提として理解しておく必要があります。
なぜ役員は安易に増やすべきではないのか?その深刻なリスク
「役員」という肩書きを与えることは、相手への信頼の証であり、モチベーション向上にも繋がるかもしれません。しかし、そこには経営者が認識しておくべき、いくつかの深刻なリスクが潜んでいます。
1. 経営の混乱と意思決定の遅延
- 経営方針の対立: 中小企業の強みは、多くの場合、社長のリーダーシップによる迅速な意思決定にあります。しかし、役員が増えることで、経営方針を巡る意見の対立が生じ、意思決定が滞るリスクが高まります。
- 派閥の形成: 社長の方針に反対する役員が、社内に自身の派閥を形成し始めると、組織は内部分裂を起こし、経営は深刻な機能不全に陥ります。
- 「船頭多くして船山に登る」: それぞれの役員が自らの意見を主張し、まとまりがつかなくなると、会社全体としての一貫した戦略遂行が困難になります。
2. 人件費の増加と固定費化
- 社員から役員に昇格させる場合、その責任の重さに見合うよう、役員報酬を引き上げるのが一般的です。
- 役員報酬は、会社の固定費の中でも大きな割合を占めます。一度上げた役員報酬は、業績が悪化したからといって簡単に下げることは難しく、会社の資金繰りを圧迫する要因となり得ます。
3. 解任・退任時のトラブルリスク
- これが最も厄介な問題の一つです。経営方針の対立などにより、役員に辞めてもらいたいと考えても、そう簡単にはいきません。
- 任期満了前の解任と損害賠償請求:
- 株式会社の取締役には、任期(原則2年、最長10年)があります。もし、任期途中で正当な理由なく役員を解任した場合、その役員から「任期の残存期間分の役員報酬」に相当する額の損害賠償を請求される可能性があります。
- 例えば、任期10年で契約した役員を、わずか半年で解任した場合、残り9年半分の報酬を請求されるという、会社にとって壊滅的なリスクも考えられるのです。
- 共同経営者の離反:
- 友人と共同で起業し、お互いを役員とした場合、関係が悪化して一方が会社を去ることになると、株式の買い取りなどを巡って深刻なトラブルに発展することが少なくありません。
4. 役員自身の経営責任リスク
- 役員になることは、権限だけでなく、重い責任も伴います。
- 会社が第三者に損害を与えたり、法令違反を犯したりした場合、役員個人がその責任を問われ、損害賠償を請求される可能性があります。
- また、社長が不正行為を行った場合、それを見過ごした他の取締役も、監視義務を怠ったとして責任を追及されることがあります。
5. 安易な「身内」の役員登用の危険性
- 「とりあえず配偶者を役員に」といった安易な判断も危険です。
- 万が一、夫婦関係が悪化し、離婚に至った場合、役員の地位を巡る争いや、前述の損害賠償請求といった、家庭内の問題が会社経営にまで及ぶ、泥沼の事態に発展するケースも実際に存在します。
これらのリスクを考慮すると、「役員を増やす」という決断は、会社の将来を左右する極めて慎重に行うべき経営判断であり、「迷うくらいなら、今は役員にしない」という選択が賢明である場合が多いのです。
では、どのような場合に役員を選任すべきか?その判断基準
デメリットやリスクを強調してきましたが、もちろん、適切な人材を適切なタイミングで役員に登用することは、会社を大きく成長させる原動力となります。では、どのような場合に役員選任を検討すべきなのでしょうか。
1. 経営を任せられる、真の「右腕」の存在
- 社長が不在の時でも、安心して会社を任せられる。
- 社長のビジョンや経営方針を深く理解し、その実現に向けて共に汗を流せる。
- 社長とは異なる視点や専門性を持ち、経営に厚みをもたらしてくれる。
- このような、経営者としての資質と、社長への忠誠心を兼ね備えた人物が現れたとき、役員への登用を検討する価値があります。
2. 組織の成長と権限移譲の必要性
- 会社の規模が大きくなり、社長一人では全ての業務を管理・監督することが困難になった場合、各部門の責任者として役員を置き、権限を移譲することで、組織的な経営体制を構築する必要があります。
3. 対外的な信用力や影響力の活用
- 業界内で高い実績や豊富な人脈を持つ人物を「社外取締役」や「顧問」として迎えることで、会社の信用力を高めたり、新たなビジネスチャンスを創出したりすることができます。
- ただし、この場合も、役員としての重い責任を伴う「取締役」という形ではなく、後述する「顧問契約」の方が、双方にとってリスクが少ない場合もあります。
4. 事業承継の準備
- 将来、会社を継がせる予定の後継者(親族または従業員)を、早い段階で役員に就任させ、経営者としての経験を積ませ、リーダーシップを育成していくことは、円滑な事業承継のために不可欠です。
失敗しない役員選び:経営者が心に刻むべきこと
役員を選任する際には、その人のスキルや経験だけでなく、人間性や価値観を見極めることが何よりも重要です。
「この人になら、騙されてもいい」と思えるほどの信頼関係
- これが、役員を選ぶ上での究極の判断基準かもしれません。
- 経営は、綺麗事だけでは済みません。時には厳しい決断や、困難な局面にも直面します。そのような時に、お互いを信じ、支え合い、同じ方向を向いて進んでいけるかどうか。
- スキルや実績は後からでも身につけられますが、人間性や信頼関係は一朝一夕には築けません。長年の時間をかけて、その人物の言動や仕事への姿勢を注意深く見極め、「この人なら、会社の未来を託せる」という確信が持てた時に、初めて役員への登用を考えるべきです。
創業メンバーや長年の功労者だから、という理由だけで選ばない
- 創業時から苦楽を共にしてきたメンバーや、長年会社に貢献してくれたベテラン社員を、情や感謝の気持ちから役員にしたくなることもあるでしょう。
- しかし、「優れたプレーヤー(社員)」が、必ずしも「優れたマネージャー(役員)」になれるとは限りません。 経営者としての資質(大局観、決断力、リーダーシップなど)が備わっているかを、冷静に見極める必要があります。
役員の代替案:「顧問契約」という選択肢
「経営にアドバイスは欲しいが、役員として迎え入れるのはリスクが高い…」
このような場合に有効なのが、「顧問契約」という選択肢です。
- 顧問契約とは?
- 社外の専門家や、経験豊富な経営者などと業務委託契約の一種である「顧問契約」を結び、経営に関するアドバイスやサポートを受ける形態です。
- 役員(取締役)との違い:
- 経営責任がない: 顧問は、役員のような法的な経営責任を負いません。
- 報酬の柔軟性: 役員報酬のような厳格なルールはなく、契約内容に応じて、月額報酬の金額を柔軟に設定したり、変更したりすることが可能です。
- 契約解除の容易さ: 役員の解任と異なり、契約内容に基づいた手続きで、比較的容易に契約を解除することができます。
- 活用シーン:
- 特定の分野(例:マーケティング、IT、海外展開など)に関する専門的なアドバイスが欲しい場合。
- 業界の重鎮に「お目付け役」として関わってもらい、会社の信用力を高めたい場合。
このように、役員登用に伴う様々なリスクを回避しつつ、外部の知見を経営に活かしたい場合には、顧問契約が非常に有効な手段となります。
まとめ:役員選任は、会社の未来を左右する最重要の意思決定
会社に役員を置くことは、経営体制を強化し、事業を大きく飛躍させる可能性を秘めています。しかし、その選任を誤れば、組織に深刻な亀裂を生み、成長の足かせとなる、諸刃の剣でもあります。
役員選任を成功させるための鉄則
- 役員と社員の法的な違いと、それぞれの責任の重さを正確に理解する。
- 役員を増やすことのリスク(経営の混乱、人件費増、解任トラブルなど)を十分に認識する。
- 「迷うくらいなら、役員にしない」という慎重な姿勢を基本とする。
- スキルや実績だけでなく、人間性や価値観、そして何よりも「信頼できるか」を最優先の基準とする。
- 長期的な視点で、後継者育成や組織の成長に必要な人材かを見極める。
- 社外の知見を取り入れたい場合は、「顧問契約」という選択肢も検討する。
そして、最終的に役員を選任するという決断を下したのであれば、それは経営者としての大きな「覚悟」の表れです。選任した役員を信頼し、適切な権限を与え、共に会社の未来を創り上げていく。そのパートナーシップこそが、困難な時代を乗り越え、会社を持続的に成長させていくための最大の力となるでしょう。
この記事が、あなたの会社にとって最適な経営体制を構築し、未来を共に歩むべき真のパートナーを見つけるための一助となれば幸いです。