「勢いで法人化してしまったけれど、こんなはずじゃなかった…」
「もっと設立前に知っておけば、数百万単位の損をしなくて済んだのに…」
個人事業主からの法人成りや、新たな事業のスタートアップにおいて、「法人化」は大きな夢と可能性を秘めた一歩です。しかし、その一方で、法人は個人事業とは全く異なるルールや責任が伴います。事前の十分な知識や計画なしに法人化を進めてしまうと、後戻りが難しい状況に陥り、深刻なトラブルや金銭的な損失を被る可能性すらあるのです。
この記事では、これから法人化を検討している方や、設立間もない会社の経営者が、後で「知らなかった」と後悔しないために、設立前に絶対に押さえておくべき10の重要な注意点について、税務、労務、財務、そして実務的な側面から分かりやすく徹底的に解説していきます。
法人化は「後戻りできない」大きな決断
法人を設立するということは、単に事業の器を変えるだけでなく、様々な法的な義務や責任を負うことを意味します。一度決定した会社名、役員構成、決算月、そして事業運営のルールなどは、変更するのに多大な手間とコストがかかります。だからこそ、設立前の段階で、できる限りの情報を収集し、長期的な視点で慎重な判断を下すことが何よりも重要なのです。
法人化で後悔しないための10のチェックリスト
では、具体的にどのような点に注意すれば、後悔のない法人化を実現できるのでしょうか。10の重要なチェックリストとして解説していきます。
1. 退職金規程は「作らない」のが中小企業の鉄則
会社を設立し、従業員を雇用すると、「社員の満足度を高めたい」「福利厚生を充実させたい」という思いから、「退職金規程」の作成を検討する経営者は少なくありません。しかし、特に設立間もない中小企業にとって、安易な退職金規程の作成は、将来の経営を著しく圧迫する「時限爆弾」となりかねません。
- なぜ危険なのか?
- 資金繰りの硬直化: 中小企業の経営は、常に資金繰りがカツカツであることが常態です。将来、退職金規程で定められた数百万、数千万円というまとまった資金を、予定通りに捻出できる保証はどこにもありません。
- 支払いの法的義務: 一度規程として定めてしまうと、会社は従業員に対して退職金を支払う法的な義務を負います。業績が悪化しても、あるいは会社に多大な迷惑をかけて退職する従業員に対しても、原則として規程通りの金額を支払わなければならなくなります。
- 訴訟リスク: 退職金の支払いが滞れば、元従業員から訴訟を起こされるリスクがあります。実際に、退職金支払いを巡る訴訟で経営が悪化し、倒産に至るケースも存在します。
- 終身雇用時代の遺物: そもそも退職金制度は、長期勤続を前提とした終身雇用時代の名残です。転職が当たり前となった現代において、従来の退職金制度は時代にそぐわない側面も持っています。
- どうすれば良いのか?
- 規程は作らず、都度判断する: 退職金規程は設けないのが基本です。その上で、長年の功労に報いたい、円満退社を祝いたいといった特定の従業員に対しては、その時点の会社の財務状況を勘案し、株主総会の決議などを経て、 「役員・従業員退職慰労金」 として個別に支給するのが最も柔軟かつ安全な方法です。
- 専門家(社労士など)の提案に注意: 社会保険労務士などからは、福利厚生の充実や従業員満足度向上の観点から退職金規程の作成を勧められることがありますが、彼らは必ずしも会社の長期的な資金繰りまで考慮しているとは限りません。経営者は、自社の財務状況と将来のリスクを冷静に見極める必要があります。
2. 最初の「税理士選び」が会社の未来を左右する
法人経営において、税理士は単なる記帳・申告代行者ではなく、経営の根幹に関わる重要なパートナーです。しかし、驚くべきことに、多くの経営者が現在の税理士に満足していないというデータもあります。最初の税理士選びに失敗すると、後々の変更には大きな労力がかかるため、法人化の段階で慎重に選ぶことが極めて重要です。
- なぜ失敗が許されないのか?
- 変更のハードルが高い: 一度契約すると、会社の財務状況や経営者の個人的な資産状況まで、あらゆる情報を共有することになります。後から「合わない」と思っても、新たな税理士を探し、膨大な資料の引き継ぎを行うのは非常に手間がかかります。
- 経営への影響が大きい: 税理士の提案一つで、節税額や資金繰り、銀行からの評価が大きく変わることがあります。経営者のビジョンを理解し、積極的に提案してくれる税理士でなければ、会社の成長は望めません。
- どうすれば良いのか?
- 複数と面談し、比較検討する: 必ず複数の税理士と実際に会い、話を聞いた上で比較検討しましょう。
- 契約期間の縛りに注意: 「最低1年間は解約不可」といった契約期間の縛りを設けている事務所には注意が必要です。サービスに自信があれば、そのような縛りは不要なはずです。
- 「法人に強い」税理士を選ぶ: 個人事業主の確定申告と、法人の決算申告では、必要な知識も経験も異なります。中小企業の法人税務に精通した税理士を選びましょう。
- 相性を重視する: 何でも気軽に相談できる、信頼関係を築ける相手かどうかが最も重要です。
3. 「役員報酬」の設定は低すぎても高すぎてもダメ
個人事業主から法人成りすると、経営者は会社から「役員報酬」を受け取ることになります。この役員報酬の金額設定は、社会保険料や銀行評価に直結するため、非常に慎重な判断が必要です。
- 高すぎる場合のデメリット:
- 役員報酬額に比例して、社会保険料(健康保険・厚生年金)の負担が大幅に増加します。社会保険料は、給与額のおおよそ30%(会社負担分と個人負担分の合計)にもなり、大きなコスト負担となります。
- 低すぎる場合のデメリット:
- 社会保険料を抑えるために役員報酬を極端に低く設定すると、経営者の生活費が不足し、会社からお金を借りる(役員貸付金)という状況に陥りがちです。
- 役員貸付金は、銀行からの評価を著しく悪化させ、融資が受けられなくなる大きな要因となります。
- どうすれば良いのか?(マイクロ法人スキームの活用)
- 個人事業を全て法人化するのではなく、一部の事業を法人化し、一部を個人事業として残すという方法があります。
- 法人からは生活に支障のない最低限の低い役員報酬を受け取り、社会保険料を抑制。主な収入は個人事業の方で得て、生活費を賄います。これにより、個人の所得が増えても社会保険料は連動しないため、トータルの負担を最適化できる可能性があります。ただし、事業内容の明確な区分など、税務上の論点も多いため、専門家との詳細なシミュレーションが不可欠です。
4. 「設立前の経費」も漏らさず計上する
会社設立の準備期間中にかかった費用は、経費として落とせないと思われがちですが、これは大きな誤解です。
- 経費にできるもの:
- 設立に関する打ち合わせ費用(飲食代、交通費など)
- 事業計画策定のための調査費用
- 新しいビジネスを学ぶための研修費用や教材費
- その他、設立準備のためにかかったあらゆる費用
- どうすれば良いのか?
- 全ての領収書・レシートを保管する: 設立前の支出に関する証憑は、全て保管しておきましょう。
- 「開業費」として資産計上し、任意に償却する: 設立前の費用は、一旦「開業費」という繰延資産として会計処理します。この開業費は、会社の好きなタイミングで、好きな金額だけ経費として計上(償却)できるという、非常に使い勝手の良い節税ツールとなります。利益が出た年に償却して節税を図る、といった柔軟な対応が可能です。
5. 「決算月」を戦略的に決める
個人事業主の決算月は12月で固定ですが、法人は自由に決算月を設定できます。この決算月を何月にするかで、資金繰りや節税のしやすさが大きく変わってきます。
- やってはいけない決め方:
- 「なんとなく日本の会社は3月決算が多いから」
- 「設立した月から1年後に」といった、司法書士の安易な提案を鵜呑みにする。
- どうすれば良いのか?
- 繁忙期を避ける: 決算作業や税務申告の準備には時間がかかります。会社の繁忙期と重ならない月を選ぶのが基本です。
- 売上が少ない月を選ぶ: 売上の変動が激しい場合、決算月の売上が少ない方が、期末の利益予測が立てやすく、節税対策などの決算対策を打ちやすくなります。
- 売上が多い月を期首に持ってくる: 事業年度の前半に利益を多く計上できると、年度の途中で銀行に融資を申し込む際に提出する試算表の見栄えが良くなり、審査に有利に働く可能性があります。
- 消費税の納税時期を考慮する: 消費税の納税は決算から2ヶ月後です。大きな支出が予定されている月と重ならないように設定するなどの配慮も有効です。
6. 「小規模企業共済」には設立と同時に加入する
小規模企業共済は、経営者のための退職金制度であり、掛金が全額所得控除となる絶大な節税効果があります。
- なぜ設立同時が良いのか?
- 小規模企業共済には、加入資格に「従業員数」の制限があります(常時使用する従業員数が20人以下など)。
- 事業が成長し、従業員数が増えてからでは、加入資格を失ってしまう可能性があります。
- どうすれば良いのか?
- 会社設立後、あるいは個人事業の開業後、速やかに加入手続きを行うことを強く推奨します。
- 最初は最低掛金(月額1,000円)からでも構いません。一度加入してしまえば、その後会社の規模が大きくなっても、加入資格を失うことはありません。後から「入っておけばよかった」と後悔することのないようにしましょう。
7. 友人との「50:50」の共同設立は避ける
起業時の熱意から、友人や仲間と共同で会社を設立するケースは少なくありません。しかし、出資比率を 「50%:50%」の均等にすることは、将来のトラブルの火種 となりやすく、絶対に避けるべきです。
- なぜ危険なのか?
- 株式会社の重要な意思決定(役員の選任・解任、定款変更など)には、株主総会での特別決議(議決権の2/3以上の賛成)が必要な場合があります。
- 50:50の比率では、意見が対立した場合に何も決めることができず、経営が完全にストップしてしまいます(デッドロック状態)。
- どうすれば良いのか?
- 必ずどちらかが過半数、できれば2/3以上の株式を保有するように設計します。これにより、最終的な意思決定権者が明確になり、経営の停滞を防ぐことができます。
- 共同経営を始める際には、事前に弁護士などを交え、株主間契約を締結し、万が一の際のルール(株式の買取条項など)を定めておくことも重要です。
8. 銀行からの「定期預金」の勧誘は断固として断る
創業融資などを銀行に相談しに行った際に、「融資と引き換えに、定期預金を作ってもらえませんか?」と勧められることがあります。これは、絶対に受けてはいけない 「悪魔のささやき」 です。
- なぜ危険なのか?
- 「定期預金=人質」 です。一度定期預金を作ると、それが融資の担保(拘束性預金)となり、いざ解約しようとしても、「融資に影響が出る」などと言われて、なかなか解約させてもらえません。
- 実質的な融資額が減るだけでなく(例:1,000万円融資を受けても500万円定期預金に入れさせられたら、使えるのは500万円だけ)、雀の涙ほどの定期預金利息に対し、借入金の利息は払い続けなければならないという、企業にとって極めて不利な状況に陥ります。
- どうすれば良いのか?
- 定期預金を条件とする融資の提案は、きっぱりと断りましょう。 それで態度が悪くなるような金融機関とは、そもそも付き合うべきではありません。
9. 「創業融資」は実績のない1期目に受けるべし
会社設立後、多くの経営者が資金調達の壁に直面します。その際、設立から2年以内であれば、「創業融- 融資」という非常に有利な制度を利用できる可能性があります(特に日本政策金融公庫)。
- なぜ1期目が良いのか?
- 創業融資の審査では、事業計画書(創業計画書)の内容が最も重視されます。まだ決算の実績がない1期目の方が、事業の将来性や経営者の熱意をアピールしやすく、審査に通りやすい傾向があります。
- 2年目に申し込むと、1期目の決算書が審査対象となります。もし1期目の業績が赤字であったり、計画通りに進んでいなかったりすると、審査が厳しくなる可能性があります。
- どうすれば良いのか?
- 会社設立後、できるだけ早い段階で、事業計画書をしっかり作り込み、創業融資の申し込みを検討しましょう。実績がない時期だからこそ受けられる、この特別な融資チャンスを逃してはいけません。
10. 安易な「バーチャルオフィス」での登記は避ける
初期費用を抑えるために、本店所在地を「バーチャルオフィス」に登記することを検討する方もいるでしょう。しかし、これも金融機関からの融資を考える上では大きなデメリットとなる可能性があります。
- なぜ危険なのか?
- 金融機関によっては、事業実態が掴みにくいという理由で、バーチャルオフィスを本店所在地とする企業への融資に非常に消極的な場合があります。実際に、大手の取引先があり、事業は順調であるにもかかわらず、バーチャルオフィスであるというだけで融資を断られたという事例もあります。
- どうすれば良いのか?
- 会社設立時の本店登記は、自宅や、実際に事業活動を行える個室のあるレンタルオフィスなどにするのが無難です。
- バーチャルオフィスは、事業が軌道に乗り、複数の拠点を構える際の支店登記などに活用するのは良いですが、最初の本店登記としてはリスクが高いと認識しておくべきです。
まとめ:法人化はゴールではない!後悔しないための「知る」努力と「備える」覚悟
法人化は、事業を飛躍させる大きな可能性を秘めていますが、それはあくまで適切な知識と周到な準備があってこそです。今回ご紹介した10の注意点は、いずれも「知らなかった」では済まされない、後々の経営に大きな影響を及ぼす可能性のある重要なポイントです。
後悔しないための法人化の鉄則
- 退職金規程は作らない。必要なら都度支給。
- 税理士は複数と面談し、慎重に選ぶ。
- 役員報酬は、社会保険料と銀行評価のバランスを考える。
- 設立前の経費も漏らさず計上し、将来の節税に活かす。
- 決算月は、自社の事業サイクルを考慮し、戦略的に決める。
- 小規模企業共済には、設立と同時に加入する。
- 友人との共同設立では、50:50の出資比率を避ける。
- 銀行からの定期預金の勧誘は、断固として断る。
- 創業融資は、実績のない1期目に申し込む。
- 本店登記に、安易にバーチャルオフィスを使わない。
これらの知識を事前に身につけ、信頼できる専門家(税理士、司法書士など)と相談しながら法人化の準備を進めることが、失敗を避け、成功への道を切り拓くための最も確実な方法です。
法人化はゴールではありません。それは、より大きな責任と可能性を背負う、新たなスタートラインです。この記事が、これから法人化という大きな一歩を踏み出すあなたの、後悔のない、そして力強いスタートの一助となれば幸いです。