「夫婦で会社を経営しているけど、役員報酬はどうやって分けるのが一番お得なんだろう?」
「社長である夫の給料を多くすべきか、それとも夫婦で平等に分けるべきか…」
中小企業においては、夫婦や家族で会社を経営されているケースが非常に多く見られます。その際、役員報酬を夫婦間でどのように分配するかは、単に家庭内の力関係の問題だけでなく、世帯全体の手取り収入を大きく左右する、極めて重要な経営判断となります。
所得税や住民税、そして社会保険料の複雑な仕組みにより、同じ世帯年収であっても、報酬の分け方一つで、年間に数十万円単位で手取り額が変わってくることも珍しくありません。
この記事では、夫婦で法人を経営している場合を想定し、世帯年収別に役員報酬の最適な分配方法を、具体的なシミュレーションを通じて徹底的に比較・解説します。税金と社会保険料の仕組みを理解し、世帯手取りを最大化するための戦略的な考え方を身につけていきましょう。
役員報酬の分配を考える上での基本:なぜ分け方で手取りが変わるのか?
なぜ、夫婦間の役員報酬の分け方によって、世帯全体の手取り額が変わってくるのでしょうか。その背景には、主に以下の3つの制度が複雑に絡み合っています。
1. 所得税の「超過累進課税制度」
- 日本の所得税は、所得が高くなるほど段階的に高い税率が適用される「超過累進課税制度」を採用しています。
- 例えば、一人の所得が非常に高額になると、最高で45%もの高い税率が適用される可能性があります。
- しかし、所得を夫婦二人に分散させることで、それぞれがより低い税率区分に収まり、世帯全体として見た場合に、所得税の合計額を低く抑えられる可能性があるのです。
2. 社会保険料(健康保険・厚生年金)の仕組み
- 社会保険料は、役員報酬の額(標準報酬月額)に基づいて決定されます。報酬が多いほど保険料も高くなります。
- しかし、社会保険料には上限額が設定されています。一定の報酬額を超えると、それ以上報酬が増えても保険料は頭打ちになります。
- また、配偶者を自身の社会保険の「被扶養者」にできるかどうか(配偶者の年収が原則130万円未満などの要件あり)も、世帯全体の社会保険料負担に大きな影響を与えます。
3. 配偶者控除・配偶者特別控除の存在
- 納税者の配偶者の所得が一定額以下の場合、納税者自身の所得から一定額を控除できる「配偶者控除」や「配偶者特別控除」という制度があります。
- しかし、配偶者に一定額以上の役員報酬を支払うと、これらの控除が適用できなくなります。
- 専従者給与を支払うか、配偶者控除・扶養控除の適用を受けるかは、どちらか一方しか選択できません。この選択が、世帯全体の税負担に影響します。
これらの制度がどのように作用し合うかによって、最適な報酬の分配バランスは変わってきます。
【世帯年収別】役員報酬の最適分配シミュレーション
では、実際に世帯年収(夫婦の役員報酬合計額)別に、どのような分配方法が最も手取り額を多くできるのか、具体的なシミュレーションで見ていきましょう。
【シミュレーションの前提条件】
- 法人の役員である夫婦2名(40歳未満と仮定)。
- 社会保険(健康保険・厚生年金)に加入。
- 個人の所得控除は、基礎控除、配偶者(特別)控除、社会保険料控除のみを考慮し、他の控除(生命保険料控除など)はないものとして簡略化。
- 税率や保険料率は、特定の年度・地域を基準とした概算値を使用。
ケース1:世帯年収300万円の場合
事業がまだ軌道に乗っていない段階など、夫婦で合計300万円の役員報酬を得るケースを想定します。
- パターンA:夫200万円、妻100万円
- 夫(年収200万円):
- 社会保険料:約30万円
- 所得税・住民税:約3.6万円
- 手取り額:約166.4万円
- 妻(年収100万円):
- 年収130万円未満のため、夫の社会保険の「被扶養者」となれます(社会保険料負担はゼロ)。
- 年収103万円以下であれば所得税もかからず、住民税もごくわずかです。手取り額はほぼ100万円となります。
- 世帯手取り合計: 約166.4万円 + 100万円 = 約266.4万円
- 夫(年収200万円):
- パターンB:夫150万円、妻150万円(平等分配)
- 夫婦それぞれ(年収150万円):
- 夫婦ともに年収130万円を超えるため、それぞれが社会保険に加入する必要があります。
- 社会保険料:各約22.5万円
- 所得税・住民税:各約5千円
- 手取り額:各 約127万円
- 世帯手取り合計: 約127万円 × 2 = 約254万円
- 夫婦それぞれ(年収150万円):
【結論(年収300万円の場合)】
この所得水準では、夫婦で平等に分配する(パターンB)よりも、片方の収入を被扶養者の範囲内(130万円未満、できれば103万円以下)に抑え、もう片方に報酬を寄せる(パターンA)方が、世帯全体の手取り額は多くなります。 これは、片方が社会保険料の負担を免れる効果が非常に大きいためです。
ケース2:世帯年収600万円の場合
事業が少し成長し、世帯年収が600万円になったケースを想定します。
- パターンA:夫500万円、妻100万円
- 夫(年収500万円):
- 社会保険料:約75万円
- 所得税・住民税:約43万円
- 手取り額:約382万円
- 妻(年収100万円):
- 夫の被扶養者となり、社会保険料負担はゼロ。手取り額はほぼ100万円。
- 世帯手取り合計: 約382万円 + 100万円 = 約482万円
- 夫(年収500万円):
- パターンB:夫300万円、妻300万円(平等分配)
- 夫婦それぞれ(年収300万円):
- それぞれ社会保険に加入。
- 社会保険料:各約45万円
- 所得税・住民税:各約16万円
- 手取り額:各 約239万円
- 世帯手取り合計: 約239万円 × 2 = 約478万円
- 夫婦それぞれ(年収300万円):
【結論(年収600万円の場合)】
この所得水準でも、依然として片方を被扶養者の範囲内に抑える(パターンA)方が、世帯手取りは多くなります。 ただし、その差は年収300万円のケースよりも縮まってきています。
ケース3:世帯年収900万円の場合
事業がさらに成長し、世帯年収が900万円になったケースを想定します。このあたりが、重要な「分岐点」となります。
- パターンA:夫800万円、妻100万円
- 夫(年収800万円):
- 社会保険料:約118万円
- 所得税・住民税:約80万円
- 手取り額:約602万円
- 妻(年収100万円):
- 夫の被扶養者となり、手取り額はほぼ100万円。
- 世帯手取り合計: 約602万円 + 100万円 = 約702万円
- 夫(年収800万円):
- パターンB:夫450万円、妻450万円(平等分配)
- 夫婦それぞれ(年収450万円):
- それぞれ社会保険に加入。
- 社会保険料:各約68万円
- 所得税・住民税:各約31万円
- 手取り額:各 約351万円
- 世帯手取り合計: 約351万円 × 2 = 約702万円
- 夫婦それぞれ(年収450万円):
【結論(年収900万円の場合)】
このシミュレーションでは、世帯年収が900万円あたりで、片方に報酬を寄せる(パターンA)と、夫婦で平等に分配する(パターンB)の手取り額が、ほぼ同水準になりました。
これが、いわゆる「損得の分岐点」です。
なぜ分岐点が生まれるのか?
世帯年収が低い段階では、片方を社会保険の被扶養者にすることによる「社会保険料の削減効果」が非常に大きいため、報酬を偏らせる方が有利です。
しかし、世帯年収が高くなり、主たる稼ぎ手の所得が増えていくと、所得税の累進課税が強く効いてきて、税負担が重くなります。ある時点から、「社会保険料の削減効果」よりも、所得を分散させることによる「所得税の軽減効果」の方が大きくなるのです。
その損益が逆転するポイントが、おおよそ世帯年収900万円~1,000万円あたりにある、と考えることができます。
ケース4:世帯年収が900万円を超えた場合
世帯年収が900万円を超えてくると、所得を分散させることのメリットがさらに大きくなり、夫婦で平等に分配する方が、世帯手取りは多くなる傾向が強まります。
これは、片方の所得だけが突出して高くなると、高い所得税率(33%, 40%, 45%…)が適用される部分が大きくなり、税負担が急増するためです。報酬を二人に分けることで、それぞれがより低い税率区分に収まり、トータルの税負担を抑えることができるのです。
最適な報酬分配を決定するための重要ポイント
シミュレーションの結果を踏まえ、最適な報酬分配を決定するためには、以下の点を考慮する必要があります。
1. 世帯年収900万円を一つの「分岐点」として意識する
- 世帯年収が900万円未満の場合:
原則として、片方の年収を社会保険の被扶養者の範囲内(130万円未満)、あるいは税務上の扶養の範囲内(103万円以下)に抑え、もう片方に報酬を集中させる方が、世帯手取りは多くなる可能性が高いです。 - 世帯年収が900万円以上の場合:
夫婦で報酬を均等に近づける(所得を分散させる)方が、所得税の負担が軽減され、世帯手取りが多くなる可能性が高いです。所得が増えれば増えるほど、この傾向は強まります。
2. 個別の所得控除を考慮したシミュレーションを行う
- 今回のシミュレーションは、基礎控除や配偶者控除といった最低限の所得控除しか考慮していません。
- 実際には、生命保険料控除、医療費控除、iDeCoや小規模企業共済の掛金控除、ふるさと納税など、個々の状況によって適用できる所得控除は異なります。
- これらの所得控除を適用すると、課税所得金額が変動し、最適な報酬分配のバランスも変わってくる可能性があります。
- したがって、最終的な判断を下す前には、必ず顧問税理士に依頼し、自社の具体的な状況(適用可能な全ての所得控除を含む)に基づいた詳細なシミュレーションを行ってもらうことが不可欠です。
3. シミュレーションサイトの活用と、その限界
- インターネット上には、給与の手取り額を計算できるシミュレーションサイトが数多く存在します。これらを活用して、大まかな目安を把握することは可能です。
- しかし、これらのサイトでは、入力すべき項目(所得控除の詳細など)の意味を正確に理解していないと、正しい結果が得られない場合があります。また、複雑な家族構成や、複数の所得がある場合などには対応しきれないこともあります。
- あくまで参考程度に留め、最終的な判断は専門家のアドバイスを仰ぐべきでしょう。
4. 税金・社会保険だけでなく、夫婦間の納得感も重要
- 税金や社会保険料の損得勘定は非常に重要ですが、それだけが全てではありません。
- 夫婦間で、それぞれの働きや会社への貢献度について、お互いが納得できる報酬分配でなければ、家庭内の不和や、経営に対するモチベーションの低下に繋がる可能性があります。
- 「どちらが得か」という数字上のシミュレーション結果と、「どちらが納得できるか」という感情的な側面の両方を考慮し、夫婦で十分に話し合って決定することが、長期的に円満な家族経営を続けるための秘訣です。
まとめ:役員報酬の分配は、世帯手取りを左右する重要な経営戦略!
夫婦で会社を経営する場合、役員報酬をどのように分配するかは、世帯全体の可処分所得を最大化するための、極めて重要な経営戦略です。
役員報酬分配の基本戦略
- 世帯年収900万円あたりを「損得分岐点」と意識する。
- 900万円未満なら… 片方を扶養の範囲内に抑え、もう片方に報酬を寄せる方が有利な可能性が高い。
- 900万円以上なら… 夫婦で均等に近づけ、所得を分散させる方が有利な可能性が高い。
- 机上の計算だけでなく、必ず個別の事情を反映した詳細なシミュレーションを行う。
- 適用可能な全ての所得控除を考慮に入れる。
- 信頼できる税理士に相談し、複数のパターンを比較検討する。
- 数字上の損得だけでなく、夫婦間の納得感や公平性も考慮する。
- 会社の利益状況や、個人のライフプランの変化に応じて、定期的に報酬分配を見直す。
正しい知識に基づいた戦略的な報酬設定を行うことで、同じ売上・同じ利益であっても、手元に残るお金を年間で数十万円単位で増やすことが可能です。それは、家族の生活を豊かにし、将来への安心感を高め、そして何よりも、事業を継続・発展させていくための大きな力となるはずです。
この記事が、夫婦で経営に励む皆様にとって、より良い報酬戦略を構築するための一助となれば幸いです。