「役員報酬は900万円までに抑えないと、税金で損をする」
「利益はできるだけ会社に残した方が、税率が低いからお得だ」
多くの経営者や、場合によっては一部の専門家でさえも、このような「常識」を信じているかもしれません。所得税率が大きく変動する「900万円」というラインを意識し、自身の報酬を抑制したり、利益を会社に留保したりする戦略は、一見すると賢明な選択のように思えます。
しかし、この考え方は、短期的な税負担の視点に囚われた、極めて限定的な見方に過ぎません。長期的な視点、特に「資産運用」という要素を加味した場合、その常識は180度覆る可能性があります。
この記事では、巷で囁かれる「900万円の壁」の真偽を徹底的に解き明かし、「役員報酬を低く抑え、会社に利益を残す」パターンと、「税負担を覚悟の上で、高額な役員報酬を受け取る」パターンのどちらが、最終的に会社と経営者個人の富を最大化するのか、具体的な数値シミュレーションを通じて、その驚くべき結果と戦略的な思考法を解説していきます。
「年収900万円の壁」の正体と、よくある誤解
まず、なぜ「900万円」という数字が独り歩きしているのか、その背景にある税金の仕組みと、多くの人が陥る誤解について整理しておきましょう。
- 所得税の累進課税: 日本の所得税は、所得が多くなるほど税率が高くなる「累進課税制度」を採用しています。
- 税率の変動ライン: 課税所得が900万円を超えると、その超過部分に適用される所得税率が23%から33%へと10%もアップします。
- 法人税率との比較: 法人税の実効税率は、中小企業の場合、課税所得800万円超の部分で約33%です。
- よくある誤解:
これらの情報から、「個人の所得が900万円を超えると、法人税率よりも高くなるから損だ。だから900万円以下に抑え、残りは会社に利益として残した方が良い」という短絡的な結論が導かれがちです。
しかし、この考え方には、- 「給与(額面)」と「所得(課税対象額)」の違い
- 累進課税の仕組みの正しい理解
- 会社に残した利益の将来的な出口戦略
- 個人で受け取った報酬の「運用」という視点
が抜け落ちています。
真実:900万円の壁を気にしても、大して変わらない
実際には、所得の増加に伴う税・社会保険料の負担率は、なだらかに上昇する傾向にあり、「900万円の壁」を境に急激に不利になるわけではありません。この壁を過度に恐れて、自らの収入や会社の成長を抑制することは、大きな機会損失に繋がるのです。
【徹底シミュレーション】会社に利益を残す vs 個人で高額報酬を得る、どっちが豊かになる?
では、実際に会社の利益をどのように配分するのが、最も効率的に資産を増やすことに繋がるのでしょうか。ここでは、役員報酬を引く前の利益が「3,000万円」と「5,000万円」の2つのケースで、2つの異なる報酬設計パターンを比較してみましょう。
比較する2つのパターン
- パターンA(会社利益重視型): 巷で言われる「900万円の壁」を意識し、役員報酬を1,300万円(課税所得が約900万円になる目安)に抑え、残りの利益を会社に留保する。
- パターンB(個人報酬重視型): 法人利益を、法人税の軽減税率が適用される上限である「800万円」に抑えることを目標とし、残りの利益を全て役員報酬として個人で受け取る。
ケース1:役員報酬を引く前の利益が「3,000万円」の場合
【パターンA:会社利益重視型(役員報酬1,300万円)】
- 個人側の手取り(概算)
- 役員報酬:1,300万円
- 税金・社会保険料:約300万円
- 個人手取り額:約1,000万円
- 法人側の手残り(概算)
- 役員報酬控除後の利益:3,000万円 – 1,300万円 = 1,700万円
- 法人税等:約520万円
- 法人手残り額:約1,180万円
- 税・社会保険料の合計負担額: 300万円 + 520万円 = 820万円
【パターンB:個人報酬重視型(役員報酬2,200万円)】
- 個人側の手取り(概算)
- 役員報酬:2,200万円
- 税金・社会保険料:約700万円
- 個人手取り額:約1500万円
- 法人側の手残り(概算)
- 役員報酬控除後の利益:3,000万円 – 2,200万円 = 800万円
- 法人税等:約180万円
- 法人手残り額:約620万円
- 税・社会保険料の合計負担額: 700万円 + 180万円 = 880万円
短期的な比較結果(利益3,000万円のケース)
項目 | パターンA(会社利益重視) | パターンB(個人報酬重視) | 差額 |
個人手取り額 | 約1,000万円 | 約1,500万円 | +500万円 |
法人手残り額 | 約1,180万円 | 約620万円 | ▲560万円 |
合計税負担額 | 約820万円 | 約880万円 | +60万円 |
この短期的な結果だけを見ると、「パターンBは税負担が60万円も増えるし、会社に残るお金も少ない。やはりパターンAの方が堅実で良いのでは?」と考えるかもしれません。
しかし、ここからが重要な「長期的な資産運用」の視点です。
長期的な視点:手元資金の「運用効果」が勝敗を分ける
パターンBは、パターンAよりも個人の手元に年間500万円(月々約41万円)も多くのキャッシュが残ります。この「差額の500万円」を、仮に年利5%という比較的現実的なリターンで複利運用した場合、どうなるでしょうか。
- 税負担差額(400万円※)の回収期間:
パターンBで多く支払った税金等(今回のシミュレーションでは法人税と個人税の差額で計算すると約400万円程度の不利)は、この資産運用によって、わずか5年5ヶ月で回収できてしまいます。 - 10年後の運用益:
月々41万円を10年間、年利5%で運用した場合、元本約4,920万円に対し、運用益は約1,470万円にもなります。 - 20年後の運用益:
さらに20年間続けると、その運用益は約7,080万円という驚異的な金額に膨れ上がります。
(※厳密な税負担差額は個人の所得控除等により変動しますが、ここでは記事内容に沿った数値を採用)
この結果が示すのは、短期的に多少多くの税金を支払ったとしても、手元に多くのキャッシュを確保し、それを長期的に複利運用することで、税負担の差額などあっという間に回収し、最終的には比較にならないほどの大きな資産を築くことができるという事実です。
「900万円の壁」を気にして手元資金を会社に寝かせておくことは、この莫大な「福利の力」を自ら放棄していることと同義なのです。
ケース2:役員報酬を引く前の利益が「5,000万円」の場合
利益規模がさらに大きくなった場合、この差はより顕著になります。
【パターンA:会社利益重視型(役員報酬1,300万円)】
- 個人手取り額: 約1,000万円
- 法人手残り額: 約2,480万円
- 合計税負担額: 約1,520万円
【パターンB:個人報酬重視型(役員報酬4,200万円)】
- 個人手取り額: 約2,400万円
- 法人手残り額: 約620万円
- 合計税負担額: 約1,980万円
長期的な資産運用効果(利益5,000万円のケース)
- 個人の手元キャッシュの年間差額: 2,400万円 – 1,000万円 = 1,400万円(月々約116万円)
- 税負担差額(約1,500万円※)の回収期間: 年利5%で運用した場合、6年2ヶ月で回収可能。
- 10年後の運用益: 約4,200万円
- 20年後の運用益: なんと約2億円にも達します。
(※個人側の税負担が大きく増えるため、法人税との差額も大きくなります)
このシミュレーションが示す通り、会社の利益規模が大きければ大きいほど、積極的に個人報酬として受け取り、資産運用に回した方が、長期的な資産形成において圧倒的に有利になるのです。
なぜ会社に利益を残すべきではないのか?(一部の例外を除く)
「それでも、会社に内部留保として利益を残しておいた方が、いざという時に安心だし、銀行からの評価も上がるのでは?」という意見もあるでしょう。しかし、これも長期的な視点で見ると、いくつかの大きなデメリットを抱えています。
- 資金の硬直化: 会社に残した利益は、あくまでも「事業用」の資金です。経営者が個人的な用途に自由に使うことはできません。
- 将来の事業承継・相続税リスク:
会社に残した利益(内部留保)は、会社の純資産を増加させ、自社株の評価額を押し上げます。将来、後継者に事業を承継する際に、この高騰した株価が原因で、多額の贈与税や相続税が発生し、承継が困難になるケースが後を絶ちません。 - 会社清算時の高額課税:
もし、事業承継せずに自分の代で会社を畳む(清算する)場合でも、会社に残った財産(利益の蓄積)は、最終的に株主である経営者個人に分配されますが、その際に「みなし配当」などとして高額な税金が課されることになります。
つまり、会社に利益を残すという行為は、税金の支払いを将来に先送りしているだけであり、多くの場合、より不利な形で課税されることになるのです。
例外:会社に利益を残した方が良いケース
- IPO(株式上場)を目指す場合: 会社の企業価値(利益額や純資産)を最大化する必要があるため。
- M&Aによる会社売却を近い将来に予定している場合: 同様に、企業価値を高めるため。
これらの明確なゴールがない限り、利益はできるだけ個人報酬として早期に回収し、個人の資産として運用・管理する方が、遥かに合理的かつ有利であると言えます。
戦略を成功させるための補足事項
この「個人報酬重視型」戦略を成功させるためには、いくつかの補足的な知識が必要です。
- 利益のコントロール方法:
役員報酬は期中に変更できないため、「どうやって会社の利益を800万円にコントロールするのか?」という疑問が生じます。これは、決算賞与(事前確定届出給与)や、倒産防止共済への年払いなど、決算期末に利益を調整できる節税策を組み合わせることで可能になります。予想以上に利益が出た場合は、これらの手法で利益を圧縮し、800万円に着地させるのです。 - 資産運用の重要性:
この戦略の根幹は、「手元に確保したキャッシュを、税負担の差額を上回るリターンで長期的に複利運用する」という点にあります。したがって、資産運用に関する基本的な知識を身につけることが不可欠です。 - 本業へのフルベットが最優先:
資産運用を始める前に、まず何よりも優先すべきは、「自分の事業で圧倒的に稼ぐこと」です。事業で大きな利益を生み出し、高額な役員報酬を受け取れるだけの「軍資金」を確保することが、全てのスタートラインとなります。事業が不安定なうちから資産運用に手を出すのではなく、まずは事業への再投資を最優先しましょう。
まとめ:「900万円の壁」に囚われるな!手取りを増やし、資産運用で未来を築け!
巷で囁かれる「役員報酬900万円の壁」は、短期的な税率の変動だけを見た、極めて視野の狭い考え方です。長期的な資産形成という視点を取り入れれば、その常識は完全に覆ります。
富裕層への道筋:正しい報酬設計と資産運用のステップ
- 「900万円の壁」という幻想を捨てる: 税負担を恐れて、自らの収入と会社の成長にキャップをかけるのは、最も愚かな選択です。
- まず本業で圧倒的に稼ぐ: 役員報酬を多く取れるだけの、高い収益力を確立することが全ての始まりです。
- 税負担を覚悟の上で、手取り額を最大化する: 会社の利益は、IPOなどの明確な目的がない限り、できるだけ役員報酬として個人に移転します。
- 確保したキャッシュを、長期・分散・積立で賢く運用する: 短期的な税負担の差額など、複利の力で簡単に取り戻し、さらに大きな資産を築くことができます。
目先の税金に振り回される経営から脱却し、より長期的で、より本質的な視点から、自らの報酬と会社の未来をデザインしていくこと。それこそが、真の意味で「キャッシュリッチな経営者」になるための、唯一の道と言えるでしょう。
この記事が、あなたの報酬設計に対する考え方を変え、会社とあなた自身の両方を、より豊かな未来へと導くための一助となれば幸いです。