個人事業主やフリーランスとして事業が軌道に乗ってくると、次に考えるのが「法人化(法人成り)」ではないでしょうか。「所得がいくらになったら法人化した方が得なの?」「法人化すると、具体的にどんなメリットがあるの?」といった疑問は、多くの事業者が抱える共通の悩みです。
一般的に、年間の所得が800万円~1,000万円を超えると法人化を検討する目安と言われることがありますが、実は所得額だけでなく、事業の状況や将来の展望によっては、もっと早い段階で法人化を検討した方が有利になるケースも少なくありません。
この記事では、個人事業主が法人化(主に株式会社設立を想定)する際に得られる10個の主要なメリットを深掘りし、それぞれのメリットがどのような状況で活きてくるのか、そして法人化を検討すべき適切なタイミングについて、税務・社会保険・事業運営の観点から網羅的かつ具体的に解説していきます。あなたの事業を次のステージへと飛躍させるための重要な判断材料として、ぜひご活用ください。
法人化を検討するタイミング:所得額だけが基準ではない!
法人化を考える最初のきっかけとして、多くの方が意識するのが「所得額」でしょう。所得税は累進課税であり、所得が増えるほど税率が高くなるため、ある一定のラインを超えると、法人税率の方が有利になるという理屈です。
確かに、年間の所得(売上から経費を差し引いた利益)が800万円、900万円、1,000万円といった水準に達すると、所得税・住民税の負担が法人税の負担を上回る可能性が高まります。しかし、法人化のメリットは税負担の軽減だけではありません。以下に挙げる様々なメリットを総合的に考慮し、自社の状況や将来のビジョンと照らし合わせて、最適なタイミングを見極めることが重要です。場合によっては、所得が500万円程度でも、法人化が有利となるケースも存在します。
個人事業主が法人化する10の主要メリット
では、具体的に法人化することでどのようなメリットが得られるのか、10個のポイントに絞って詳しく見ていきましょう。
メリット1:給与所得控除の適用による所得圧縮
- 個人事業主の場合: 事業で得た所得から必要経費を差し引いたものが「事業所得」となり、これに直接税金がかかります。青色申告の場合、最大65万円の青色申告特別控除が受けられます。
- 法人の場合: 社長は会社から「役員報酬」という形で給与を受け取ります。この役員報酬は「給与所得」となり、給与所得者と同様に「給与所得控除」が適用されます。給与所得控除は、収入に応じて自動的に計算される一種のみなし経費であり、収入が多いほど控除額も大きくなります(上限あり、例:年収850万円超で195万円)。
- 効果: 同じ所得額であっても、法人化して役員報酬として受け取ることで、個人事業主時代の事業所得よりも課税対象となる所得を低く抑えられる可能性があります。特に、個人事業主で計上できる経費が少ない業種の場合、給与所得控除のメリットは大きくなります。
メリット2:法人税率の上限と安定性
- 所得税・住民税: 個人の所得税は累進課税であり、最高税率は所得税45%+住民税10%=55%にも達します。
- 法人税等(実効税率): 法人税、法人住民税、法人事業税を合わせた実効税率は、会社の規模や所得額によって異なりますが、概ね20%台前半から30%台半ば程度で、上限も個人の最高税率よりは低い水準にあります。
- 効果: 所得が非常に高額になった場合、法人として利益を確保し法人税を支払う方が、個人で高率の所得税・住民税を支払うよりも、トータルの税負担を抑えられる可能性があります。また、法人税率は個人の所得税率ほど頻繁に大きく変動しないため、税負担の予測がしやすいという側面もあります。
メリット3:赤字(欠損金)の繰越期間が長い
- 個人事業主(青色申告)の場合: 事業で赤字(純損失)が生じた場合、その赤字を翌年以降3年間繰り越し、将来の黒字と相殺して税負担を軽減することができます。
- 法人の場合: 事業で赤字(欠損金)が生じた場合、その赤字を翌事業年度以降10年間(2018年4月1日以降開始事業年度)繰り越すことができます。
- 効果: 赤字の繰越期間が大幅に長くなるため、特に創業期や事業転換期などで一時的に大きな赤字が出た場合でも、将来の利益で十分に相殺できる可能性が高まります。これは、長期的な視点での事業運営において大きな安心材料となります。
メリット4:赤字の場合の前期法人税の還付(欠損金の繰戻し還付)
- 個人事業主の場合: 原則として、赤字を前期の所得と相殺して所得税の還付を受けることはできません(例外的なケースを除く)。
- 法人の場合: 当期が赤字で、前期が黒字で法人税を納めていた場合、当期の赤字を前期の黒字と相殺し、前期に納めた法人税の一部または全部の還付を受けることができる「欠損金の繰戻し還付」という制度があります(一定の要件あり)。
- 効果: 特に、前期までは好調だったが、経済状況の急変(コロナ禍など)で急に赤字に転落した場合などに、この制度を活用することで、当面の資金繰りを助けることができます。これは法人ならではの大きなメリットです。
- 注意点: この制度の利用を税理士が積極的に提案しないケースも過去にはありました。その理由の一つとして、繰戻し還付を請求すると税務調査の対象となりやすいという認識があったためです。しかし、近年では、特に経済危機などの影響で赤字企業が増加した際には、この制度の活用も一般的になってきており、過度に税務調査を恐れる必要はないと考えられます。むしろ、正当な権利として活用すべき制度です。
メリット5:消費税の免税期間の活用可能性
- 個人事業主の場合: 原則として、開業から2年間は消費税の納税が免除されます(基準期間の課税売上高が1,000万円以下の場合)。3年目以降は、2年前の課税売上高が1,000万円を超えていれば課税事業者となります。
- 法人の場合: 新たに設立された法人は、原則として設立1期目と2期目は消費税の納税が免除されます(資本金1,000万円未満などの条件あり)。
- 効果: 個人事業主として2年間消費税の免税期間を享受し、3年目(課税事業者になるタイミング)で法人成りすれば、さらに法人として最大2年間、合計で最大4年間の消費税免税期間を確保できる可能性があります。消費税の納税額は、特に利益率の低いビジネスにとっては大きな負担となるため、この免税期間の活用は大きなメリットとなります。
- 注意点: インボイス制度の導入により、免税事業者であっても、取引先との関係上、あえてインボイス発行事業者(=課税事業者)を選択するケースが増えています。この場合、上記の免税メリットは享受できなくなるため、慎重な判断が必要です。また、消費税の免税・課税の判定は複雑なため、法人化のタイミングは税理士と十分に相談することが不可欠です。
メリット6:出張手当(旅費日当)の非課税活用
- 個人事業主の場合: 出張にかかった実費(交通費、宿泊費など)は経費として認められますが、日当(出張中の食事代や諸雑費に充てるもの)を経費として計上することは、税務上認められにくいのが実情です。
- 法人の場合: 「旅費規程」を整備し、その規程に基づいて役員や従業員に出張手当(日当)を支給すれば、支給された側は所得税・住民税がかからず(非課税所得)、支払った法人側は経費(損金)として処理できます。
- 効果: 例えば、1泊の出張で2万円の日当を支給し、実際の食費などが5千円だった場合、差額の1万5千円は実質的に非課税の収入となります。出張が多い経営者にとっては、大きな節税効果と手取り収入増に繋がります。
- 注意点: 旅費規程の内容(日当の金額など)は、社会通念上妥当と認められる範囲内である必要があります。金額設定については、税理士と相談し、税務調査で否認されないような適切な基準を設けることが重要です。
メリット7:生命保険料の経費計上範囲の拡大
- 個人事業主の場合: 支払った生命保険料は、生命保険料控除として所得控除の対象となりますが、控除額には上限があり(一般的に年間最大12万円程度)、節税効果は限定的です。
- 法人の場合: 役員や従業員を被保険者とする生命保険に法人契約で加入した場合、保険の種類や契約形態によっては、支払保険料の全額または一部を法人の経費(損金)として処理できる場合があります。
- 効果: 個人で加入するよりも、法人契約の方が経費として認められる金額が大きくなる可能性があり、より効果的な節税に繋がることがあります。また、役員退職金の準備や、事業保障(経営者の万が一の際の運転資金確保)といった目的にも活用できます。
- 注意点: 法人保険の税務上の取り扱いは非常に複雑で、保険種類や加入時期、解約返戻率などによって経費処理できる割合が異なります。また、税制改正の影響も受けやすいため、安易な節税目的での加入は危険です。必ず保険の専門家や税理士に相談し、保障内容と税務メリット・デメリットを総合的に検討する必要があります。
メリット8:社会的信用力の向上
- 個人事業主よりも法人の方が、一般的に社会的信用度が高いと見なされる傾向があります。
- 効果:
- 取引先との関係: 大企業との取引や、継続的な取引を目指す場合に有利になることがあります。「法人でなければ取引しない」という企業も存在します。
- 金融機関からの融資: 適切な事業計画と実績があれば、個人事業主よりも法人の方が融資を受けやすくなる場合があります。
- 人材採用: 求職者にとって、個人商店よりも株式会社の方が、安定性や将来性といった面で魅力的に映り、優秀な人材を確保しやすくなる可能性があります。
メリット9:社宅制度の活用による家賃の経費化
- 個人事業主の場合: 自宅兼事務所の家賃の一部を、事業使用割合に応じて経費計上できますが(家事按分)、その割合の算定根拠を明確にする必要があります。
- 法人の場合: 会社が賃貸物件を借り上げ、それを役員や従業員に社宅として貸し出すことで、家賃の大部分(一般的に50%~90%程度)を会社の経費(福利厚生費または給与の一部として損金)として処理できる場合があります。役員・従業員は、会社に対して一定の家賃(社会通念上妥当な額)を支払う必要があります。
- 効果: 経営者自身が社宅制度を利用すれば、実質的に個人が負担する家賃を大幅に軽減しつつ、会社としては経費を計上できるため、大きな節税効果が期待できます。
- 注意点: 社宅として認められるための要件や、役員・従業員から徴収すべき家賃の計算方法など、税務上のルールが細かく定められているため、税理士への相談が不可欠です。
メリット10:銀行からの借入(融資)がしやすくなる可能性
- メリット8の「社会的信用力の向上」とも関連しますが、一般的に法人の方が個人事業主よりも金融機関からの融資を受けやすいと言われています。
- 理由:
- 財務諸表の信頼性: 法人は会計処理が厳格であり、決算書の信頼性が個人事業主よりも高いと見なされる傾向があります。
- 事業の継続性: 法人格があることで、事業主個人の状況に左右されにくい事業の継続性が期待されます。
- 責任の明確化: 会社としての責任体制が明確であること。
- (心理的な側面として)個人事業主は、事業が行き詰まった際に「逃げやすい(事業を畳んで行方をくらますなど)」と見なされるリスクがゼロではないのに対し、法人は解散・清算手続きが必要であり、簡単には逃げられないという印象があるかもしれません。
- 効果: 事業拡大や設備投資のための資金調達がスムーズになり、成長の機会を掴みやすくなります。
法人化のデメリットや注意点も忘れずに!特に社会保険料負担は大きい
多くのメリットがある一方で、法人化には以下のようなデメリットや注意点も存在します。これらを十分に理解しておくことが、後悔のない法人化には不可欠です。
- 設立費用・維持費用: 株式会社設立には最低でも20万円程度の費用がかかり、設立後も登記費用や税理士顧問料など、個人事業主時代にはなかったコストが発生します。
- 社会保険への強制加入と保険料負担増: これが最大のデメリットとなるケースが多いです。役員報酬額にもよりますが、個人事業主時代の国民健康保険・国民年金の負担と比較して、社会保険料の総負担額(個人負担分+法人負担分)は大幅に増加する傾向があります。
- 対策: 法人の役員報酬を低く抑え、個人事業主としての収入も得る(事業内容を分けるなど)ことで、社会保険料負担を最適化するという方法も考えられますが、税務上の論点や手間も増えるため、慎重な検討が必要です。
- 事務作業の煩雑化: 会計処理、税務申告、社会保険手続き、源泉徴収、年末調整など、事務作業が格段に複雑化し、手間も時間もかかります。
- 赤字でも発生する税金: 法人住民税の均等割(年間最低7万円程度)は、赤字でも必ず発生します。
- 交際費の損金算入制限: 法人の場合、交際費の損金算入には一定の上限があります。
- 資金の自由な移動の制限: 会社のお金と社長個人のお金は明確に区別され、社長が会社の資金を個人的な用途に自由に使うことはできません(役員報酬や役員貸付などの手続きが必要)。
結論:法人化はゴールではない!メリットを最大限に活かし、デメリットを最小限に抑える戦略的な判断を
法人化は、個人事業主にとって大きな飛躍のチャンスとなり得ます。節税効果、社会的信用力の向上、資金調達の円滑化など、多くのメリットが期待できる一方で、コスト増や事務負担の増加といったデメリットも存在します。
重要なのは、「所得額がいくらになったら法人化」といった画一的な基準で判断するのではなく、自社の事業内容、収益状況、将来の展望、そして経営者自身のライフプランなどを総合的に考慮し、メリットとデメリットを冷静に比較検討した上で、最適なタイミングと方法を選択することです。
法人化を検討する際のチェックポイント
- 現在の所得水準と今後の収益予測は?
- 法人化による税負担のシミュレーションは行ったか?
- 社会的信用力を高める必要性はどれくらいあるか?(取引先、金融機関、採用など)
- 将来的に事業を大きく拡大していきたいか?
- 出張や社宅などの制度を活用したいか?
- 赤字のリスクや繰越期間のメリットをどう考えるか?
- 消費税の免税メリットを考慮するか?(インボイス制度との兼ね合いも重要)
- 社会保険料負担増の影響は許容できるか?
- 事務作業の増加に対応できるか?(自身で行うか、専門家に委託するか)
- 法人化の目的は明確か?
これらの点を踏まえ、信頼できる税理士などの専門家に相談しながら、法人化の是非やタイミングについて慎重に検討を進めてください。法人化はゴールではなく、新たなスタートです。そのスタートを成功させ、事業を持続的に成長させていくためには、メリットを最大限に活かし、デメリットを最小限に抑えるための戦略的な判断が不可欠と言えるでしょう。