M&A(合併・買収)による事業売却を検討する際、買い手側が最も重視するものの一つが「決算書」です。決算書の内容次第で、売却が成立するか否か、そして売却価格が大きく左右されると言っても過言ではありません。
もしあなたが将来的にM&Aを視野に入れているのであれば、買い手が決算書のどこに注目し、どのように評価するのかを理解し、日頃から決算書を磨き上げておくことが不可欠です。
本記事では、M&Aにおける決算書の重要性と、買い手が見ている具体的なポイントについて解説していきます。
なぜM&Aで決算書が重要なのか?~信頼と評価の土台~
買い手企業にとって、M&Aは大きな投資であり、同時にリスクも伴います。そのリスクを判断し、買収対象企業の価値を評価するための最も基本的な情報源となるのが決算書です。
決算書が正確で透明性の高いものであれば、買い手は安心してデューデリジェンス(買収監査)を進めることができます。逆に、決算書が不正確であったり、粉飾や脱税の疑いがあったりすれば、買い手はリスクが高すぎると判断し、交渉のテーブルにつくことすらしないでしょう。
したがって、M&Aによる会社売却を成功させ、かつ高値での売却を目指すのであれば、日頃から以下の点を意識して決算書を作成・管理することが絶対条件となります。
- 正確性:会計基準に則り、すべての取引が正しく記録されていること。
- 透明性:隠れた負債やリスクがなく、情報が適切に開示されていること。
- 継続性:過去からの決算数値に一貫性があり、信頼できるものであること。
これらは当たり前のことのように聞こえるかもしれませんが、残念ながら多くの中小企業で徹底されていないのが現状です。買い手の立場に立てば、信頼できない決算書を提示する企業を買いたいとは思わないでしょう。
買い手は決算書のここを見ている!貸借対照表(BS)編
決算書は主に、財政状態を示す「貸借対照表(BS)」と、経営成績を示す「損益計算書(PL)」から構成されます。まず、貸借対照表において買い手が注目するポイントを見ていきましょう。
1. 純資産:企業の蓄積された実力
貸借対照表の右下に記載される「純資産」は、企業が過去にどれだけの利益を蓄積してきたかを示す、いわば企業の「自己資本」です。買い手はまずこの純資産の額を見て、企業の基本的な体力を評価します。
ただし、重要なのは帳簿上の純資産額だけでなく、 「実態としての純資産価値」 です。例えば、帳簿上では純資産が1億円あっても、保有している株式の時価が簿価を大きく下回っていれば、実態の純資産はそれよりも少なくなります。逆に、簿価の低い土地が時価では高額になっている場合など、プラスに評価されることもあります。買い手は、資産や負債を時価評価し直した上で、実質的な純資産価値を把握しようとします。
2. 現預金の残高:買収後の手元資金
資産の部の中でも、特に「現預金」の残高は重視されます。買収が成立すれば、その現預金は買い手のものとなるため、手元資金が潤沢であればあるほど魅力的に映ります。
しかし、ここに注意点があります。過去には、多額の借金を抱え評価の低い会社を安価で買収し、その会社が保有する現預金や換金性の高い資産を抜き取った後、会社を放置するという悪質なM&A詐欺も存在しました。このようなケースでは、売り手である元の経営者が連帯保証から外れず、結果的に大きな負債を抱え込むといった被害も発生しています。現預金が多いことはプラス評価ですが、それだけで判断するのは危険です。
3. 資産の部(BSの左側):保有資産の実態と評価
会社がどのような資産を保有しているのか、その「資産の部」全体も詳細にチェックされます。特に、帳簿価額と時価が大きく乖離している可能性のある資産(土地、有価証券など)は、実態評価が行われます。歴史の長い会社ほど、取得時の価格で計上されている資産の時価が大きく変動しているケースがあり、これがプラスにもマイナスにも評価に影響します。
4. 簿外の資産・負債:隠れた価値とリスク
決算書には表れない「簿外の資産」や「簿外の負債(隠れ負債)」の有無も、買い手にとっては重要な関心事です。
- 簿外資産の例:損金処理されているが解約返戻金のある生命保険、特許権やノウハウなどの無形資産。
- 簿外負債の例:未払いの残業代、将来発生する可能性のある損害賠償、係争中の訴訟。
これらは買収後の企業価値やリスクに直結するため、デューデリジェンスの過程で徹底的に調査されます。特に、訴訟を抱えている企業は、その内容や金額によっては買い手が見つからない可能性もあります。
5. 有利子負債:引き継がれる借金の額
金融機関からの借入金など、「有利子負債」の額も厳しくチェックされます。これらの負債は、原則として買収した企業が引き継ぐことになるため、過大な有利子負債はマイナス評価となります。現預金が1億円あっても、有利子負債が10億円あれば、その現預金は実質的に借金返済に充てられるものと見なされます。
買い手は決算書のここを見ている!損益計算書(PL)編
貸借対照表が企業の「ストック(財産の状態)」を示すのに対し、損益計算書は企業の「フロー(経営成績)」を示します。買い手は、対象企業が将来的にどれだけ稼げる能力があるのかを判断するために、損益計算書の以下のポイントに注目します。
1. 売上高:事業規模と成長性
事業の規模や成長性を示す基本的な指標として、まず「売上高」の推移が確認されます。過去数年間の売上高が伸びているのか、横ばいなのか、減少しているのかは、将来性を占う上で重要な情報となります。
2. 売上原価:本業のコスト構造
売上を上げるために直接かかった費用である「売上原価」も重要なチェックポイントです。売上総利益(粗利)がどれくらい出ているのか、原価率は適正かなどが分析され、本業の収益性が評価されます。
3. 販売費及び一般管理費:事業運営に必要な固定費
人件費、家賃、広告宣伝費など、事業を運営するために必要な「販売費及び一般管理費(販管費)」の内容と金額も精査されます。無駄な経費がないか、買収後に削減できる余地があるかといった視点でも見られます。
4. 営業利益:本業の稼ぐ力
売上総利益から販管費を差し引いた「営業利益」は、企業が本業でどれだけ稼いでいるかを示す最も重要な利益指標の一つです。過去の営業利益の推移に加え、買収後にシナジー効果(相乗効果)によってどれだけ営業利益を伸ばせる可能性があるか、という点も買い手の評価に大きく影響します。例えば、現在は営業利益が5,000万円でも、買い手のノウハウや販路を活用することで1億円、5億円に増やせる見込みがあれば、高い買収価値があると判断される可能性があります。
高く買ってもらうために磨くべきは「営業利益」
では、M&Aで自社をより高く評価してもらうためには、決算書のどこを磨けば良いのでしょうか。様々な要素が絡み合いますが、最も重要なポイントの一つが 「営業利益」 です。
一般的に、M&Aにおける買収価格は、営業利益の3年~5年分が目安となることが多いと言われています(業種や成長性、市場環境などにより大きく変動します)。つまり、営業利益が高ければ高いほど、売却価格も上昇する傾向にあるのです。
本業でしっかりと利益を出し、それを継続的に成長させていくことが、企業価値を高める王道です。そして、利益が蓄積されれば、貸借対照表の純資産も厚くなり、財務体質も強化されます。
ただし、営業利益の額だけで全てが決まるわけではありません。例えば、営業利益が2,000万円程度の会社が、その数十倍の20億円で売却されたという事例も存在します。これは、その会社が持つ独自の技術、特許、ブランド力、顧客基盤、将来性などが買い手にとって非常に魅力的であり、高いシナジー効果が見込めると判断された結果です。
M&A成功への道は、日々の決算書磨きから
M&Aで買い手が決算書のどこを見ているのか、そして高く評価されるためにはどこを磨くべきかについて解説してきました。結論として、会社を売るにせよ売らないにせよ、日頃から本業でしっかりと利益を出し、財務内容の良い決算書を作り上げていくことが最も重要です。
これは、M&Aのためだけでなく、金融機関からの信頼を得て円滑な資金調達を行うため、そして何よりも会社を継続的に成長させていくために不可欠な取り組みです。
- 日々の取引を正確に記帳する。
- 月次決算を早期に確定し、経営状況をタイムリーに把握する。
- 無駄な経費を削減し、利益体質を強化する。
- 隠れた負債やリスクを放置せず、早期に解決する。
- 将来の成長戦略を描き、実行する。
これらの地道な努力が、いざM&Aという選択肢が現実になった際に、大きなアドバンテージとなるのです。決算書は、あなたの会社の価値を映す鏡です。その鏡を常に磨き続けることが、M&A成功への確実な道筋となるでしょう。